County Road and Highway Maps of Minnesota To View the Map: Just click the Image to view the map online. The Greater Minnesota counties contain 88% of the centerline mileage in the state and account for 53% of the annual miles of vehicle travel. Stretches of roadway in Minnesota with the highest traffic volume. Information about Minnesota's roads from the LRS and Roadway Characteristics database. 50 Smart Places to Live: #2 Minneapolis-St. Paul, Minn. Salisbury, Rollin D., Harlan Harland Barrows, Walter Sheldon Tower. The Role of Metro Areas in the U.S. Economy, Personal Income and Per Capita Personal Income by Metropolitan Area, 2003–2005, Wireless Minneapolis Frequently Asked Questions, Skyways: Downtown Minneapolis and St. Paul Skyways, Frequently Asked Questions: Library Board Decisions and Libraries Closing, Minneapolis, Hennepin Library Merger Hits Another Hump, A twist in the tinfoil—Gehry doing Weisman addition, Council moves closer to theater deal, but concerns remain, Minnesota Shubert Performing Arts and Education Center, First Avenue & 7th Street Entry Band Files, MUSIC; A Most Audacious Dare Reverberates, A History of Minneapolis: Professional Sports, Inventor of the Week Archive: Scott & Brennan Olson (spelling corrected per rowbike.com), History of the Parks and Public Grounds of Minneapolis, Minneapolis Local Surface Water Management Plan, Former 'Star Tribune' Publisher Launches Major Site for Twin Cities, A History of Minneapolis: News, Media and Publishing, Media - Radio - Minneapolis-St. Paul, Minnesota, USA, Minneapolis / St. Paul: Minnesota Twin Cities Area: Digital TV & HDTV Cheat Sheet, Billy Graham and the Billy Graham Evangelistic Association - Historical Background, A History of Minneapolis: Social Services, Catholic Charities of St. Paul & Minneapolis, A History of Minneapolis: Residents of the City, Minneapolis/St. Twin Cities Metro Area (13 County)File Type: png, File size: 317213 bytes (309.78 KB), Map Dimensions: 1200px x 929px (256 colors) Hover to zoom map. Neighborhoods & Communities, City of Minneapolis Business Associations, Urban Environment Report, City Environment Data: Minneapolis, Minnesota, Homicide problem awaits Minneapolis' new police chief, Top employer in downtown Minneapolis: Target. By contrast, County State Aid and County Road routes contain 32% of the centerline mileage, but carry only 24% of the annual miles of vehicle travel. x We've been listening to you. Trunk Highways (Interstate, US, and MN Hwy routes) contain only 8% of the centerline mileage in Minnesota, but they carry 57% of the annual miles of vehicle travel. と2年制私立のダンウッディ技術カレッジ(英語版)は高校を卒業した者への職業教育を主としている。ミネソタ国際芸術学校、ミネアポリス芸術デザイン学校。通信制大学のカペラ大学とウォルデン大学、ミネソタ職業心理学学校はミネアポリスに本部を置いている[72]。, ミネアポリス日本語補習授業校 は、幼稚部から高等部までの教育を行っている生徒数150名、家族数100家族の北米中西部で比較的規模の大きい学校である。 駐在家族も多く通っており、帰国の際に日本の学校にすぐに戻れるよう、文部科学省の教育方針に則った教育が行われている。 小学部高学年、中学部、高等学部の生徒からなる生徒会もあり、活動が盛んに行われている。 授業の他に、5月に運動会、7月にスイカ割り、12月には習字、1月には新年会などの行事も取り入れ、児童・生徒に日本の文化に触れる機会を設けている。 創立理念「子供達の勉学の場と、よきコミュニティーを築くことを目指して、みんなが運営に参加する手作りの日本語補習校をつくりましょう」に基づき、在籍家族全員参加で学校を運営している。, ミネソタ日本語補習授業校はミネアポリス・セントポール国際空港に近い南郊のリッチフィールドにあるホープ教会で授業を行っている。同校は教育目標として「国際社会で活躍できる日本人を育てる」「学年に応じた日本語能力を身に付ける」の2点を掲げ、普段は英語で授業を行っている現地校に通う日本人の児童・生徒に対し週1回、日本語での教育の機会を与えている[73]。, ミネアポリス公立学区内は公立小学校45校、中学校7校、高校7校、特別教育学校8校、オルタナティブ・スクール8校(これに加え19校のオルタナティブ・スクールと提携している)、5校のチャーター・スクールを抱え、36,370人の児童・生徒が在籍している。学校委員会は州法によって与えられた権限に基づいてポリシーを定め、校長を選出し、学区の予算、カリキュラム、人員、施設を監視する。生徒の母語は英語以外にも90ヶ国語におよび、学校でも英語のほか、スペイン語、ミャオ語、ソマリ語が使われている[74][75][76]。これらの公立学校のほかにも、ミネアポリスには20校以上の私立学校、および約20校のチャーター・スクールがある[77][78]。, 市内の公立図書館はミネアポリス公立図書館システムの下に運営されている。2007年、同システムは深刻な予算不足のため、3館の閉鎖を余儀なくされた[79]。ヘネピン郡図書館との合併も提案されているが、予算はついていない[80]。シーザー・ペリがデザインしたミネアポリス中央図書館は2006年にダウンタウンに開館した[81]。同館はミネアポリス・コレクションやミネアポリス写真コレクションなど10の特別なコレクションを有し、調査者に25,000冊以上の書籍と資源を提供している[82]。2004年の統計では、ミネアポリス公立図書館システムの書籍・定期刊行物等の貸出数は年間1,696,453を数え、年間500,000件以上の質問に回答している[83]。, 1883年創立、1915年にミネアポリスの中南部に建てられたミネアポリス美術館は、100,000点以上の常設コレクションを有するミネアポリス市最大の美術館である。マイケル・グレイヴスの設計による新館は2006年に完成した。新館はより広いギャラリーを有し、近現代の作品を展示している[84]。ダウンタウンの近くに建つウォーカー・アート・センターは、2005年にヘルツォーク&ド・ムーロンの設計によって増築した。なおも増築は進んでおり、最終的には通りの反対側にある、ミシェル・デヴィーニュ設計のミネアポリス彫刻園を含め60,000m²まで広がる[85]。同センターは主に現代芸術作品を展示している。ミネソタ大学のワイズマン美術館は1934年に同学の芸術学部が教育目的で設立した。現在の本館はフランク・ゲーリーによる設計で、1993年に開館した。2009年には、本館同様ゲーリーの設計による新館が開館する[86]。, ミネアポリスとその周辺は人口あたりの劇場の数がニューヨークに次いで多く[87]、全米第3位の演劇市場である。ミネアポリスにある劇場のうち著名なものとしては、シアター・デ・ラ・ジューヌ・ルネ、イリュージョン、ジャングル、ミックスト・ブラッド、ペナンブラ、ブレイブ・ニュー・ワークショップ、ミネソタ・ダンス・シアター、シアター・ラテ・ダ、イン・ザ・ハート・オブ・ザ・ビースト・シアター、チルドレンズ・シアター・カンパニーなどが挙げられる[88][89]。フランス人建築家ジャン・ヌーベルは、ガスリー・シアターに3つの舞台を有する新館をデザインした。このガスリー・シアターは、もともとは1965年にニューヨークのブロードウェイの劇場をまねて作られた老舗である[90][91]。ヘネピン通りの歴史ある劇場の保存を目的としたヘネピン劇場トラストにより、市はオーフェウム、ステート、パンテージズの3劇場を購入・改装した。それらの劇場はコンサートや演劇の公演などに使われている[92]。2007年、同トラストによって改装された4番目の劇場、ヘネピン芸術センターが3館からなるミネソタ・シューバート演技芸術・教育センターの一部に加わった。同芸術センターは、もともとは1888年に建てられたフリーメイソンのロッジであったが、1979年に芸術センターとなった。同芸術センターは20の芸術団体の本拠地になっており、またWebベースの芸術教育を提供している[93][94]。, ジャズシンガーの息子として生まれ、自らもミネソタ・ダンス・シアターで学んで歌手となったプリンスは、ミネアポリスが生んだ最も有名な音楽の継承者である[95]。そのほとんどがツイン/トーンレコードと契約していた仲間の地元ミュージシャン[96]と共に、ファースト・アベニュー・アンド・7thストリート・エントリーというナイトクラブを流行らせ、ミネアポリス・サウンドの中心地とすることに貢献した[97]。同クラブはミネアポリス・セントポールのアーティストにとっても登竜門的な位置づけとなっていた。1984年には同クラブでプリンスの自伝映画『プリンス/パープル・レイン』の撮影、および1500万枚の売上を記録した同作品のサウンドトラックアルバム「パープル・レイン」の収録が行われた。他にも、ミネアポリス出身であることが確認されたミュージシャンに、ジミー・ジャムとモーリス・デイがいる。, 1903年に設立されたミネソタ管弦楽団(設立当初の名称はミネアポリス交響楽団)は、ダウンタウンのニコレット・モールにあるオーケストラ・ホールを本拠にしている。1995年から2002年までは、大植英次が同楽団の音楽監督を務めていた。2003年、同楽団はラハティ交響楽団を世界的なシベリウス・オーケストラに育て上げたオスモ・ヴァンスカを音楽監督に迎えた[98]。1963年に設立されたミネソタ・オペラは全米16位の規模を持つオペラ楽団で、クラシックから近現代作品まで様々なオペラの公演を行っている[99]。マクフェイル音楽学校は、2007年に創立100周年を記念し、リバーフロント地区の近くに新たな校舎を建てた[100]。, トム・ウェイツは、ミネアポリスを舞台とした楽曲を2曲世に送り出した。1曲は「ブルー・ヴァレンタイン」(1978年)収録のChristmas Card from a Hooker in Minneapolis、そしてもう1曲は「レイン・ドッグ」(1985年)収録の9th & Hennepinである。またミネアポリスにはミネソタ・スポークン・ワード協会が本部を置いていることから、ラップ、ヒップホップ、スポークン・ワードのコミュニティから注目を集めている[101]。ミネアポリスを拠点にしているアンダーグラウンド・ヒップホップ・グループのアトモスフィアは、その楽曲の歌詞の中でミネアポリス市やミネソタ州に頻繁に触れている[102]。, 地方中枢都市の1つであるミネアポリスには昔から複数のプロスポーツチームが存在していた。1884年に初めて試合を行ったマイナーリーグの野球チーム、ミネアポリス・ミラーズは当時リーグで最も強かったチームで、1960年に解散するまでに15人を野球殿堂に送りこんだ。1940年代から1950年代にかけては、ミネアポリス初のメジャーチームであったミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)が活躍し、ロサンゼルスに移転する前に6度の優勝に輝いた。, 1960年にNWAのミネアポリス・ボクシング・アンド・レスリング・クラブが分離独立してできたアメリカン・レスリング・アソシエーションは、1990年代に至るまでミネアポリスに本拠を置いていた。AWA世界ヘビー級王座は世界3大タイトルと称され、ジャンボ鶴田、マサ斎藤も戴冠した。プロレスラー養成所「ガニア・キャンプ」が開設され、後に世界王者になるリック・フレアー、リッキー・スティムボートらを輩出した。[103]。, 1961年、ミネソタにNFLとMLBのチームがそれぞれ1つずつつくられた。NFLのミネソタ・バイキングスはリーグのチーム増設によってつくられたチームであった。一方、MLBのミネソタ・ツインズはワシントンD.C.に本拠を置いていたセネターズがミネソタに移転し、それに伴ってチーム名もツインズと改称されたものであった。この2つのチームはメトロドームに本拠を移すまでの20年間、南郊のブルーミントンにあった屋外のメトロポリタン・スタジアムで試合を行っていた。ツインズは1987年と1991年の2回、ワールドシリーズで優勝した。1989年にはNBAのミネソタ・ティンバーウルブズができ、レイカーズ移転から29年ぶりにバスケットボールチームがミネアポリスに戻ってきた。1999年にはWNBAのミネソタ・リンクスも誘致された。これら男女バスケットボールチームは、ともに1990年に完成したターゲット・センターを本拠地としている。NHLのミネソタ・ワイルドはセントポールに本拠地を置いている。, 1982年に完成したメトロドームはミネソタ州最大のスポーツスタジアムであった。バイキングス、ツインズ、およびミネソタ大学ゴールデン・ゴファーズのフットボールチームはこのメトロドームを本拠地としていた。また、メトロドームは全米で唯一、MLBオールスターゲーム、スーパーボウル、ワールドシリーズ、NCAAファイナル4の全てを開催したスタジアムである。メトロドームではスポーツのほかコンサート、コミュニティ活動、宗教活動、トレードショーなど各種のイベントが執り行われ、年間の稼働日は300日を超えていた[104][105]。2013年に閉鎖され、2016年にUSバンク・スタジアムとしてオープンした。, 1920年代から、ミネアポリス市内の学校、特にセントラル高校、デ・ラ・サール高校、マーシャル高校の3校は優秀なアマチュアスポーツ選手が輩出してきた。1930年代から現在に至るまでの間、ミネソタ大学ゴールデン・ゴファーズはフットボール、野球、ホッケーの3種目で全米王座に輝いた[106][107]。, ミネアポリスではこれらプロスポーツやカレッジスポーツのほか、市民スポーツも盛んに行われている。ランナーズ・ワールド誌(Runner's World)は、ミネアポリスをランナーにとって良い都市の全米6位に位置づけている[108]。毎年10月、ミネアポリス・セントポール間を走るツイン・シティズ・マラソンはおよそ250,000人の観客を集める。USバンク・スタジアムをスタートしてミネアポリス市内の湖岸やミシシッピ河岸を通り、ミネソタ州会議事堂へと至る42.195kmのフルマラソン[109]は、ボストンマラソンやオリンピックの選考会を兼ねている。同大会ではフルマラソンのほか、10マイルや1マイルの短縮レース、および家族向けイベントとしての5kmラン/ウォーク(走っても歩いてもよい)や子供マラソンも行われる[110]。, レクリエーションとしてのスポーツも盛んである。ミネアポリスは全米の主要都市の中で最も人口あたりのゴルファーの数が多い[111]。市内には5つのゴルフコースがあり、さらに近郊にも全米で名を知られるヘーゼルタイン・ナショナル・ゴルフクラブをはじめ、ベアパス・カントリークラブ、バンカーヒルズ・ゴルフコースがある[112]。ミネソタ州は自転車、スポーツフィッシング、スキーをする人の州の人口あたりの割合が全米50州の中で最も高い。また、ヘネピン郡はミネソタ州の郡の中で最も人口あたりの馬の頭数が多い[113]。ミネアポリス在住中、スコット・ブレナンのオルソン兄弟はローラーブレード社を設立し、「ローラーブレード」の商標でインラインスケートを製造・販売し、スポーツとしてのインラインスケートを流行らせた[114]。, ミネアポリスの公園システムは設計、財源、維持のすべてにおいて全米で最良であると言われてきた[115]。19世紀終盤、コミュニティのリーダーによる先見の明と寄付と努力が実り、ホーレス・クリーブランドの設計による数々のランドスケープ・アーキテクチャ作品がこの地に公園として残った。これらの公園は装飾された通りや公園道路でつながれた[116][117]。また、クリーブランドはこれらの公園のあと、ミネソタ大学キャンパスのランドスケープも設計した。チェーン・オブ・レイクス地区の湖は自転車道・遊歩道で結ばれ、釣り、ピクニック、ボート、夏季の湖水浴、冬季のアイススケートに使われている。自動車用の公園道路、自転車道、遊歩道はそれぞれグランド・ラウンズ・シーニック・バイウェイに沿って平行して走っている[118]。, セオドア・ワースは多くの子供たちの住むところの近くに児童遊園を設置したり、市内に木の天蓋を造ったり、各家屋の6ブロック以内に公園を置いたりといった、ミネアポリスの公園システムの基礎を作り上げた[119]。今日では、市の面積の15%を公園が占め、市民1人あたりの公園面積は71m²にのぼる[120][121]。, 公園間は多くの箇所でつながっている。ミシシッピ・ナショナル・リバー・アンド・レクリエーショナル・エリアでは地域の公園とビジターセンターがつながっている。全米最古の公立野花園であるエロアーズ・バトラー・ワイルドフラワー・ガーデン・アンド・バード・サンクチュアリはセオドア・ワース・パークの近くに位置している。セオドア・ワース・パークはミネアポリスと東に隣接するゴールデンバレー市にまたがっており、その広さは約2.3km²、ニューヨークのセントラルパークの6割ほどである[122][123]。落差16mのミネハハの滝を中心としたミネハハ・パークはミネアポリスで最古、かつ最も人気の高い公園の1つで、年間約50万人が訪れる[124]。ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローは1855年に発表した叙事詩「ハイアワサの詩」の中で、ハイアワサの妻の名をこの滝から取ってミネハハとつけた[125]。, ミネアポリスでは日刊紙のスター・トリビューンをはじめ、ミネソタ・スポークスマン・レコーダー、ファイナンス・アンド・コマース、ミネソタ大学のミネソタ・デイリーの4紙が購読されている。2007年、ミネアポリス5番目の新聞となるWebベースの新聞、ミンポスト.comが開設された[126][127]。他には、週刊のシティ・ページズ紙、ミネアポリス・セントポール紙、ミネソタ・マンスリー紙、月刊誌ザ・レイク、隔月誌UTNEマガジンが刊行されている[128]。ミネアポリスは印刷・出版の中心地でもあり、芸術家がロフト芸術センターやミネアポリス書籍芸術センターを設立した。, ミネアポリス・セントポールにはAM16局、FM21局のラジオ局がある。それらのラジオ局は公営ラジオのほか、クリア・チャンネル・コミュニケーションズ社が運営する7局(AM2局、FM5局)をはじめとする民間のラジオ局、テレビ局のラジオ部門、さらにはミネソタ大学やミネアポリス公立学区のラジオ、宗教団体のラジオと多岐にわたっている[129][130]。, ミネアポリス初のテレビ放送はABC系列のセントポール支局、KSTP-TVでなされた。初のカラー放送はミネアポリスのダウンタウンに局を置くCBS系列のWCCO-TVで行われた。これらのほか、ミネアポリスにはFOX、NBC、PBS、マイネットワークTV、CWネットワークの支局、および独立系のテレビ局1局がある[131]。また、いくつかのテレビ番組にもミネアポリスの名が登場してきている。「ビバリーヒルズ高校白書」のブランドン・ブレンダの双子の兄妹はミネアポリス出身という設定になっている[132]。2006年には、第6回目となるアメリカン・アイドルのオーディションがミネアポリスで行われた[133]。2007年には、ラスト・コミック・スタンディングの第5回目のオーディションが行われた[134]。1970年代、コメディTVシリーズの「メアリー・タイラー・ムーア・ショウ」がミネアポリスの架空のテレビ局を舞台としたことを記念し、ダウンタウンのニコレット・モールにはメアリー・タイラー・ムーアの像が立っている。このコメディは7年間にわたって放送され、ゴールデングローブ賞延べ3部門、エミー賞延べ31部門を受賞した[135][136]。, 古くから土着の信仰を持ち、グレート・スピリットを信仰していたダコタ族は、すべてのヨーロッパ人入植者が信仰心が深いわけではないということに驚いた[137]。入植して以後、ミネアポリスには50を超える宗教・宗派が確立され、有名な教会もいくつか建てられた。ニューイングランドから移住してきた者の多くはプロテスタント、クエーカー教徒、または万人救済主義者であった。ミネアポリス最初の教会は1856年に万人救済主義者がニコレット・アイランド/イーストバンク地区に建て、その後まもなくフランス系のカトリック教会となったアワ・レディ・オブ・ローデス・カトリック教会であった[138]。1902年にはミネアポリス初のシナゴーグがイーストアイル地区に建てられた。このシナゴーグは1920年頃から「イスラエル寺院」として知られている。セント・メアリーズ正教会大聖堂(バシリカ・オブ・セント・メアリーとは別物)は1887年にロシア正教会によって建てられ、1897年に附設の教会学校を、1905年に全米初のロシア正教会系学校を設立した[139][140]。ローリング・パークの近くに建つ、全米初のバシリカであるバシリカ・オブ・セント・メアリーは、ローマ教皇ピウス11世からその名を取っている。同教会は1907年に建てられ、1975年に国の史跡に指定された。, ビリー・グラハム福音主義協会、同協会の刊行するディシジョン誌、同協会傘下の映画配給会社ワールド・ワイド・ピクチャーズ社は、いずれも1940年代からミネアポリスに本拠を置いている[141]。ノースセントラル大学で出会ったアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの牧師ジム・バッカーとキリスト教歌手タミー・フェイの2人は1980年代に宗教系のテレビ局を始め、1350万世帯の視聴者を得た[142]。今日では、ミネアポリスの南西にあるマウント・オリベット・ルーテル教会は6,000人のアクティブな教会員を有する、世界最大のルーテル教会となっている[143]。市南東のロングフェロー地区に1948年に建てられたルーテル教会の建物は、エリエル・サーリネンの作品の中でも最も優れたものの1つに数えられている。この教会には、のちにエリエルの息子であるエーロ・サーリネンの設計による教会学校の建物が増築された[144][145]。, 人類愛と社会奉仕はミネアポリスというコミュニティの特徴のひとつである[146]。ミネアポリス・セントポール都市圏に住む成人の40%は何らかのボランティア活動に従事している。ニューオーリンズに本拠を置く全米最大の社会奉仕団体カトリック・チャリティーズは、ミネアポリスにおいても最大の社会奉仕団体のひとつである[147]。ミネアポリスに本部を置くアメリカ難民委員会(ARC)は、これまでアフリカ、バルカン半島、アジアの10ヶ国から100万人以上の難民を逃がしてきた[148]。ミネソタ州最古の財団法人であるミネアポリス財団は、900種を超えるチャリティファンドに投資してその管理を行い、NPOと寄付者とを結び付けている[149]。また、ミネアポリス・セントポール都市圏は集められた寄付金の13%を芸術・文化分野に用いている。10億ドルを超えると推計される近年の芸術施設の拡張費用のほとんどは、私的な寄付によってまかなわれている[150]。, 1850年代から1860年代にかけて、ニューイングランドやニューヨークからの入植者がミネアポリスに移ってきた。1860年代中盤に入ると、スウェーデン、ノルウェー、デンマークといった北欧系の移民がミネアポリスに住み着くようになった。やがてドイツ系、イタリア系、ギリシア系、ポーランド系の移民が続いた。ユダヤ人やロシア系移民は最初は市の北側に住み着き、1950年代から1960年代にかけて西郊に移り住んでいった[151]。アジア人は主に東アジアの中華人民共和国、フィリピン、日本、韓国から移住してきた。1940年代には日系人が、1950年代にはネイティブ・アメリカンが連邦政府の政策でこの地に移住させられてきた。1970年代以降は、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイといった東南アジア諸国からも移民が来るようになった。これに加え、1990年代以降はラテン系の住民やアフリカ、特にソマリアからの難民がミネアポリスに移入してきた[152]。21世紀に入っても、ミネアポリスは新たに移入してくる移民の主要な受け入れ先となっている。1990年から2000年にかけての10年間で、アメリカ合衆国外の生まれの住民は127%増加した[153]。, 市の人口は1950年に521,718人でピークに達したが、その後は郊外への人口流出によって1990年まで減り続け、ピーク時に比べ約40%減少している。一方、ミネアポリス・セントポール都市圏の人口は市の人口がピークであった1950年に比べ2倍に増加しており、360万人に達している。アフリカ系やアジア系、ヒスパニック系の住民が増え、現在では白人以外の住民が総人口の約1/5を占めている[154]。2006年時点では、全米平均と比べるとミネアポリスの失業率は低く、4年制大学卒以上の学歴を有する住民の割合が高い[155]。, 2000年の国勢調査の結果では、ミネアポリスで最も多いのはドイツ系(16.5%)、次いでノルウェー系(9.0%)、アイルランド系(6.9%)、スウェーデン系(5.8%)となっている。, ミネアポリスの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]。, 以下にミネアポリス市における1860年から2010年までの人口推移をグラフおよび表で示す[156]。.